中国語の教科書で出てきたアメリカ人留学生ジャックと中国人学生王氏の中国でのやり取り。
食事後会計時、王がジャックの分もまとめて払う。
するとジャックが「自分の分は自分で払うよ」
すると王が「そんなのいいから」と拒否、
欠かさずジャックは「僕ちゃんとお金持ってるよ!さっきの映画代も今の食事代も半分だすから」
王は呆れて「なんでそんなに細かい事にこだわるんだ?行くぞ。」
店を出てからもジャックは「僕達はまだ学生で君もそんなにお金があるわけじゃないのに、君が僕の分も払うなんておかしい」と返す。
王は「ジャックは分かってないなんだなぁ。中国人は親しい友達の間では割り勘なんて他人行儀なことはしないんだ。友人のお金を無駄にするよりも自分のを使おうとするものなんだ。次出かける時に君が払えばそれでいいんだよ」と中国文化を説明する。
するとジャック「でも中国人は買い物する時、顔を真っ赤にして一銭でも安く買おうと店の人とケンカ腰にまでなって値切るじゃないか、友達同士ではなんでそんなに気前がいいんだい?」
王は「ハハハ、店の人は友達じゃないからさ。彼らは他人だし商売人だ、値段を高く言って騙そうとしてる時だってある。友達の間とは全く違うんだよ」と。
中国生活を体験して中国系の友達が多い私は、このやり取りについて考えさせられることが多数ある。
異文化間では簡単に誤解が生じる。私はこのジャックと王の話によって3年前の誤解を一つ発見した。そして2年前のあのエイミーの不思議な顔も、それと今のStudioのチームメンバーの特性も理解できたように思う。
3年前中国系マレーシア人の友達と食事に行った時、私の分まで払われた。そしてどうしても自分の分は払うといっても断固として受け取らなかった。私は“なにコイツ!自分は働いても無いクセ、親の金使ってえーかっこしーのボンボンがっ!!もうコイツとは飯を食うまい”と思ったのを覚えている。がしかし、それは彼にとっては単なる風習だったのである。むしろそうしないことの方が彼にとってはありえなかったのだろう。彼の全くの善意を私は悪く取ってしまったのだ。
そして2年前台湾で友達のエイミーとご両親で食事に行ったお会計時、私は当然自分の財布を取り出した。するとエイミーはへんな顔をして「何で優香が全員の分払うの?」と言った。私は“え?全員の分は払わないよ。私がご両親の分払ったら子供のクセに失礼じゃん、でも自分の分は払うもんしょ”と思った。中国に割り勘という習慣が無い事で今となって彼女の言葉の意味が分かった。それに中国では誘った人が払うのが習慣らしい。
そして内(友達、親戚)と外(他人)をきっかり分ける習慣をStudioのチームメンバー(全員中国系)の言動を見て納得することがよくある。本当に親しくなると男女関係無く無償でビックリするほど優しくしてくれる、しかし他人には厳しい。
例えばチーム内の誰かが重大なミスをしたとしても誰も攻め立てたり、文句を言ったりする気配すらない。客観的に見ると明らかにウチのチームメンバーのミスであっても他(先生や大学の人)のせいにして責めたりする。ミスを犯した仲間の傷ついた心を気遣っての優しさであろう。この好意はロジカルに考えて正しいかどうかという話抜きにして、暖かい。
ふとあの出来事を思い出した。
数年前電車で椅子に座っていて、一度立ち上がってスカートを直してまた座ろうとした。するとそこには椅子が無く私は尻餅をついてしまった。しかも運悪く転がっていたビール瓶におしりをぶつけ痛い思いをして叫んだ。椅子は折りたたみ椅子?で立ち上がると自動的に上に上がる仕組みになっていたのだ。やるせない気持ちでいると、前に座っている恰幅のいいオージーのおじさんが「なんて危ない椅子なんだ!」と椅子を叱ってくれた。悪いのは不注意な私の方で椅子さんには悪いのだが、私はテレくさくも、とっても暖かい気持ちになった。
日本のような住民の大半が純日本人という島国に住んでいては、他国人異文化間でのコミュニケーション時には面食らう事も誤解し、されることも多いだろう。同じ日本人だって男女間、世代間、地域間、価値観等、誤解は多々ある。
そんな違いに関わらない、モノを測る基準を常に柔軟に持っておきたいものだ。
学期間休みは終わり今日から学校が始まる。
また忙しくなる。が、心を亡くさないように 気をつけたい。
忙しくてもしっかりと、いろいろな素晴らしいものを見逃さないように。
http://www.ailight.jp/blog/yuuka/archive/2005/03/17/5068.aspx (理想的な外国語勉強法)